映画やドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由
2021.06.03状況やその人物の感情を1から10までセリフで説明する作品が、近年増えてきた。そうした作品に慣れた視聴者は、セリフとして与えられる情報だけが物語の進行に関わっている、と思い込むようになる。
それゆえに、彼らの理屈はこうだ。「倍速でもセリフは聞こえている(もしくは字幕で読めている)んだから、ストーリーはわかる。問題ない」。なんなら、人物が登場しなかったり、沈黙が続いたりするようなシーンは、1クリックで10秒ずつ、どんどん飛ばす。
本来、10秒間の沈黙という演出には、視聴者に無音の10秒間を体験させるという演出意図がある(はずだ)が、そんな作り手側の意図はお構いなしだ。
『ドラえもん』などのファミリーアニメ、『交響詩篇エウレカセブン』などのSFアニメほか、実写映画やドラマの脚本、ゲームシナリオなども手掛ける脚本家の佐藤大氏は、こう嘆く。
「口では相手のことを『嫌い』と言っているけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じないんですよ」
(略)
外国人からしたら日本人が好きな相手にちゃんと好きとか口にしたがらなかったりわざとお茶濁すの理解できないって言うし
昔はそういうの奥ゆかしいって好意的に思われてたけど今は思ったならなんで素直に言わないのみたいな西洋寄りの考え方する人の方が増えてきたんじゃないかな
これは俺も同意だな
言外の意図を読めとか、あるいはいやよいやよも好きのうちとか、そういう風潮って今はむしろバッシングの対象だろ
好き嫌いと理解自体出来ないのはまた違うでしょ
>>14
好きな相手に嫌いなんて死んでも言わないみたいな良くも悪くも真っ直ぐというか潔癖の奴の方が今は多いんじゃないかな
そう育ってきてる奴等は好きだけどつい嫌いって言っちゃうは純粋に理解できないと思うよ
俺だって好きだけど嫌いって言うぐらいならわかるけど例えば教師が生徒を大事に思ってるから体罰するんだみたいなのは理解に苦しむ
大事に思ってるならなんで体罰すんのとか大事なのは生徒じゃなくて自分でしょとか思う
でもひと昔前はそれが当たり前でそんなスポ根とかが美化されてたわけで
そんなもん
つまりこの佐藤大とかいうのが無能
まあ少年漫画はそれでもいいと思うんだが
少年漫画を大人が読むのが異常、とかは言わないけど、少年漫画に色々背負わせすぎじゃないか、とは思うな
スマホしながらとか
テレビだけを見てる時代じゃないからだろ
昔はいわゆる隠れた表現ってのが単純だっただけ
例えば
>「口では相手のことを『嫌い』と言っているけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じないんですよ」
これとか昔は逆に嫌い=好きなだけで結局口で好きと言ってるのと同じだっただけ
でも今は一般人の理解の高度化が進んで好き=好きかもしれないし嫌いかもしれない、またはその場限りの言い訳でどちらでもないかもしれない
みたいに考える選択肢が増えたんだよ
その結果所謂裏を読むのが困難になった
昔みたいに嫌い=好きならいいがそうでない場合が出てきたから判断に困るわけだ
言う側が後から結論変えてしまうのも原因だな
昭和で経済が成長して口約束から書面で交わす文化に変わって確実性だけが重要になった
それが意識の表現にも現れたってだけ
結論を保留したまま展開を待つストレスに対する耐性もたぶん下がってる
昔は一般人の発言力なんてほとんどなかったし
勉強とか特にそうだけど丁寧に説明あるけど
それでも一回理解できる層なんてそんな多くないだろうし
それが物語とかになったら尚更繰り返し見て考えない限り
すぐ理解できる人なんていないだろ
感想にある「わかんなかった」にそんな深い意味はないと思うわ
わかんなかった=つまらないとしてるがそれはただの被害妄想な気しかしない
1クールとかほぼダイジェスト版みたいな尺だしな
次を製作できるかわからない状態でじっくり展開できないから
なるべくおいしいところをかいつまんで詰め込んで人気を取ろうとするっていう事情に
見る側がならされたって問題もあるんだろうな
深夜アニメだけじゃなくて
なろうなんてもうタイトルに内容はみ出してるじゃん
ネットの長文が嫌われるのもこれでしょ
極端な例だと朝チュンとか椿の花が落ちるとか否定する人増えたんじゃない?
認知できる人は減ったってことですね
共通認識の希薄化と脚本の質の低下みたいな
あー同じものを見て同じもので育ったみたいなの今なさそうだしな
ローコンテクスト文化って多言語多民族な国だから醸成されたわけで、
それは娯楽も同じというのはありそうだ
言わんでも分かるだろって事は通用しなくなってきたのかな
現実世界でもそうだけど
>>95
言わんでもわかるだろって言うか
たとえば
千と千尋の両親が豚の中に居ないのを見抜くところとか
君の名はのヒロインの父親を説得する下りとか
「物語のながれだとここは解決する下りなんだからどう解決するかなんていいじゃないか」
って言う作り手の甘えを感じる
海外の映画だとエンタメであろうと無かろうとここで観客を驚かせるような解決法でどうにかするけど
そこをすっとばす作品が増えてるのに
作り手が「観客が謎を許さない」とか責任転嫁してる気がする
千と千尋に関しては
最後に子供の考えた魔法じみた幼稚さをあえて持ってくる粋さとかあるじゃん
アルバムの最後にローファイ宅録みたいな曲入れるみたいなもんだよあれは
駿ってそういうの好きじゃん理屈っぽい癖に理屈じゃない部分にあこがれてるというか
いやあれは
ごまかしでしかないよ
そうか?
俺は遊び心だと思うけど
あれだけの作品を作っておいて
最後に遊ぶってむしろ粋だと思うけどな
エヴァみたいに思わせぶりなくだりをばらまいて回収しないのが何じゃそりゃって話はよく聞くけど
確かに、作品でもちゃんと分かる作品もあればなんか意味の分からない電脳世界だ精神世界がどーちゃらみたいな無駄に分かりづらく作られてる作品もあるからな
自分たちは説明なくても察することが出来たと勘違いしている
現実の日常生活でも「言わなくても分かるだろ?」と言われるが、分かる部分もあるけどどうやっても分からない部分や誤解は出てくるんだよ
例えば仕事であったら「だいたい分かるだろ?察しろ」は絶対ダメで「こうですよね?これであってますか?」の確認は絶対必要。
だから漫画やアニメにも「まぁこういう事だろうな」とは思っても「確定」が無ければモヤモヤしてしまうんだよ。
だからハッキリした描写や説明はあった方が良い
それ出来てないのは駄作って言われてもしゃーない
ホワッとしか描写せず「察しろ」は結局作り手が意図しない解釈する人が多くて自分が損するだけになる。
設定がふわっとでも主題はある程度きっちり描いてほしいわな
まあ好みの話になるんだろうけど
なろうみたいなアニメ作るんだったらポストエヴァの1000番煎じキャラみたいなツンデレ動かさないとツンデレなのか分からないバカいっぱいだろ
結局人気作の多くは分かりやすさがある
掘り下げる必要ない部分の説明とかは本編で省いて単行本のおまけページで説明とかでいいんだよ
引用元: https://hebi.5ch.net/test/read.cgi/news4vip/1622702352/